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ホーム > みどりのさと > 第4話 ~下田原天満宮の天神祭、近づく~
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下田原消防分団、大阪府で初、全国ポンプ操法大会で優良賞に入賞 私は、昭和53年、四條畷市消防団下田原分団に入団したが、その年、消防ポンプ操法全国大会があり、四條畷市を代表して下田原分団が出場した。北河内大会で優勝し、大阪府大会でも優勝したので、下田原分団は大阪府代表として全国大会に出場となった。 だから、入団したこの年は、1年に百回を超える訓練があり、おまけに全国大会でも大阪府代表として初めて優良賞に入賞したので、翌年までいろいろな場所で披露することとなり、週に三日や四日の訓練が続いた。 だから、その後の消防団活動は、拍子抜けするぐらい負担感のない、言い換えれば楽で、楽しい経験となった。  そして、平成5年3月、15年務めた下田原分団を退団した。   ●平成3年、下田原天神祭復活! この退団に先立つ2年前の平成3年6月、下田原地区の長老から下田原天神祭の復活に向けた話が持ち上がり、当時、下田原消防分団の分団長であった奥田芳信君(同窓生・故人)と副分団長であった私に白羽の矢が当たったのである。 この時、下田原には太鼓台が倉庫に眠っていた。 この一台の太鼓台の存在が、地区の長老の思いに火をつけることとなり、“なんとか、この太鼓台を曳行して、地域のみんなを元気にしてほしい!”ということだった。 奥田君と相談の結果、消防の分団員の協力が得られるようなら引き受けてみようということになり、分団員に投げかけたところ、「負担も多いが、やろう!」ということに決し、急きょ、準備に取り掛かった。 今考えると、6月に声がかかり、7月24日の宵宮イベント、25日の本宮、太鼓台の曳行にこぎつけたものだが、この短期間によくできたものだと、振り返っている。 しかし、この年の太鼓台曳行は忘れられないものとなった。 太鼓台は、屋根がベニヤ板で葺かれた質素極まりないもので、曳行すること自体、少々気恥ずかしい思いのすることであったが、下田原の子どもからお年寄りまで、それぞれ地区毎の辻々に出て、歓声を挙げ、手を振ってくれた。中でも、一人の老女が、道路のわきの石に座り、手を合わせて太鼓台の曳行を見送ってくれた姿は、今も脳裏に焼き付いている。 たとえ貧素で、陳腐な太鼓台であっても、この太鼓台があったればこそ、下田原天神祭が復活したのである。どんな祭りもそうだが、神輿であったり、大木であったり、神楽であったり、とんどであったり、なにがしかの形を必要とする。だから、この太鼓台は、翌年には、三段重ねの布団太鼓に装いを新たにした。 この時は、奥田君が四條畷市に勤務していた関係もあり、毎日新聞に大きく取り上げてもらったが、地域が盛り上がったことは言うまでもない。   ●平成15年に社殿改修、牛の石造も奉納 さて、前置きが長くなってしまったが、今年、復活25年を迎えた下田原天神祭の舞台、下田原天満宮を紹介しよう。  国道163号線と旧清滝街道の分岐点(下田原西交差点)から北へ約10メートル、約50段の石段を上ると、東西30メートル、南北20メートルの敷地が広がるところに下田原天満宮はある。 冒頭で書いたように、平成3年に下田原天神祭が復活し、年々賑いとともに、人の手が入るようになり、平成15年には社殿が改修され、牛の石造も新たに奉納された。 下田原天満宮がいつの頃に創建されたかは明らかではないが、現在の田原地区の氏神である住吉神社(上田原所在)は文禄年間(1592~1595)に建てられたもので、それ以前の上田原の氏神は八の坪住吉社、下田原の氏神はこの天満宮であったと思われ、村の入り口に位置するこの鎮守の森、古代から神の住む聖地とされる現在地に天満宮を勧請したのは織田・豊臣期をさらにさかのぼると考えられる。   ●学問の神様、菅原道真をまつる 天神さんは、平安時代にはもっぱら怨恨の神で、風、雨、水、火を支配し、悪をこらす神で、農民が豊作を祈願するものであったが、菅原道真と同一視され、全国いたるところに天満宮として祀られている。 道真は、時の政権の敵として大宰府に流される。「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」の歌を詠み、大宰府で没した。その死後、京都には落雷がしきりにおこった。これは道真の怨霊のなせるものだと怖がられ、その霊を慰めるため『天満大自在天神』の名で北野天神に合祀されたそうである。 天満宮が、学問の神様と云われるのも道真が祀られているからである。 下田原天神祭復活時は、7月24日宵宮、7月25日本宮で、太鼓と鐘を鳴らしながら、地区総出で太鼓台を曳行したが、世の流れには逆らえず、今は25日直近の日曜日に本宮、を催行している。だから、今年は、7月23日が宵宮、24日が本宮である。   ●正月、芽出度絵を中庭に描く砂絵行事残る田原地区お、田原地区に残る、砂絵の行事についても紹介しておこう。 「砂絵」は、大晦日の昼、すべての仕事を終えたのち、各家庭で、庭を掃き清め、きれいな更土で庭に「芽出度絵(めでたえ)」を描き、正月を迎える行事のこと。 今も、田原地区の数軒でこの砂絵が続けられており、下田原天満宮の境内にも描かれる。1月の中旬ぐらいまでは見ることができる。描かれる題材は、俵、太陽、月、魚、大黒船、干支などである。 田原地区は、昔から稲作を営む農家が多かったが、ほとんどの家に中庭があり、その中庭で、むしろを敷いて収穫したお米を乾燥させていたことを覚えている。五穀豊穣を祈り、また来年も豊作になりますようにと、雨で流される中庭の土を補充する意味があったのではないか、と思っている。 2016.6.28  
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