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ホーム > みどりのさと > 第7話 ~麗こもる 住吉神社に 石の風呂~
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今年は、10月15日宵宮、16日本宮です

 もうすぐ住吉神社の秋祭りがやってきます。(写真:住吉神社正面入り口)
ここ数年は、宵宮15日、本宮16日の直近の土曜日・日曜日に宵宮・本宮が行われてきましたが、今年は、ちょうど重なったため、本来の日程で秋祭りが行われるようです。
現在、田原地区では、住吉神社の総代会が本祭りを催行し、下田原区・上田原区・下田原天神祭実行員会・上田原地車保存会の4団体が後援・協力する形で夜店等出店され、田原台ニュータウンの住民も含めて、多数の地区の人々がお詣りし、子どもの声とともに賑わう氏子で境内は活気を取り戻しています。
この日、上田原のだんじりも境内に出されて、奉納されます。
大変立派なだんじりですが、年月が経ち、傷みも激しく、だんじりを地区内で曳行するまではできないようですが、その勇壮な姿を境内に現すことで、祭も大いに盛り上がります。
元々、下田原にもほぼ同じ大きさのだんじりがあったのですが、かなり以前に、他所に売り払われたとのことです。この話はさびしい限りですが、今は、25年前に復活した下田原天神祭とともに、新しい布団太鼓が登場し、7月の天神祭の時期には下田原地内を練り歩き、老若男女が一つになって真夏の一日を共に過ごす祭の象徴として、その存在感を見せています。
このように、先人たちが残してくれた貴重な財産があるからこそ、それを守り、伝えようとする今の人の営みがあるものといえます。

●磐船神社の影響で、天野川沿いに住吉の神々をまつることに

さて、前置きが長くなりましたが、上田原にある住吉神社を紹介しましょう。
田原地区とともに、隣の生駒市南田原や枚方に至る天野川流域の村々にも住吉神社があり、それぞれ住吉四神が祀られています。
なぜ、天野川流域に住吉の神々をまつる神社が多いのかといいますと、それは磐船神社の影響があります。
田原から天野川に沿って北へ下っていきます(どこか違和感があるかもしれませんが、天野川は田原を源流として、北に向かって、交野、枚方と流れ、淀川に注良いでいます。)と、岩船峡の入り口があり、この場所に磐船神社があります。大きな岩が重なり合った中に、15メートル余りの船の形をした巨岩がありますが、これがご神体です。
神代の昔、鐃速日尊(にぎはやひのみこと)が、天磐樟船(あめのいわくすふね)に乗ってこの地に降臨し、物部氏の租となったことから、この巨岩をご神体として尊を祀られたのが磐船神社の始まりと伝わっています。
そして、平安時代に入り、遣唐使の渡海の安全を願い、また国家鎮護、航海安全、歌の神として、住吉四神(「底筒男命」そこつつおのみこと・「中筒男命」なかつつおのみこと・「表筒男命」うわつつおのみこと・「神功皇后」の4抻)が祀られるようになりました。やがて、総社である、この磐船神社に倣って、天野川流域の村々も住吉の神々をまつるようになり、中でも、田原、私市、星田の村々は昔から力を合わせて磐船神社を支えてきました。
時代が移り変わり、戦国時代に入ります。三好長慶の飯盛城、田原対馬の守の田原城も落城して、その役目を終えます。豊臣時代に入り、総社である磐船神社から分祀をして、住吉四神を田原城址に祀られることになりますが、江戸時代の初めごろには、現在地に改めて創建されて、現在に至っていると考えられています。

●浄心用として身の潔斎に使われた石槽

この住吉神社には、多くの史跡・文化財が残っています。
境内ほぼ中央には、北河内では珍しい常設の御神楽舞台(舞殿)があります。
鎌倉時代には、極楽浄土に行けますようにと、十三仏を立てて供養することがはやりましたが、ここにも十三仏があります。十三仏については、改めて触れたいと思いますが、四條畷市は十三仏が数多く残る自治体として有名で、この狭い市域に7基も残っていますが、神社に残る13仏は唯一ここ住吉神社のみです。(写真左:舟形光背型3列4段 13仏塔)
なお、神社であるにもかかわらず、ここ住吉神社にはこの13仏をはじめとして、『南無阿弥陀仏』の六字名号(ろくじみょうごう)を刻んだ石碑、地蔵菩薩、観音菩薩他、多くの仏様が残っているのかといいますと、明治期までは神仏は習合していたもので、この住吉神社にも神宮寺があったからです。神宮寺は全国的には珍しくありませんが、四條畷市内では、この住吉神社のみで、明治元年の神仏分離令により、僧侶の神官兼任が禁じられ廃寺となりました。
また、北河内地区では珍しい朱塗り木造両部鳥居(高さ約4m・柱のまわり1.2m・4本の控え柱は16センチ角)もあります。
史跡の中でも、特に知られているのが石の風呂です。(写真中:石槽 写真右:石風呂全景)
  
境内にある石の風呂は、天野川から出土したもので、縦2メートル、幅1メートルの花崗岩で作らており、深さ80センチにくりぬかれています。鎌倉時代のものと考えられ、四天王寺にあるものと同型で、浄心用として身の潔斎(けっさい)に使われていたようです。底の部分にあります水はけの穴は、大正時代に村人によってあけられたと伝わっています。
なお、この石槽は、昭和48年3月30日、有形文化財として大阪府指定を受けています。

●若い頃、氏子総代になり、屋根に上った経験

私は、氏子の一人ですが、この住吉神社には格別の思い出があります。
一つは、若い頃、確か20代の頃だったと思いますが、隣組選出の氏子総代に選ばれました。因みに、ごく、最近も2度目の氏子総代を務めましたが。
氏子総代は神社の年中行事を準備し、主催するのですが、境内・本殿、拝殿、社務所等の建物の維持・管理も仕事の一つです。大掃除の時、屋根に上って、落ち葉を落とし、トユに溜まったゴミも取り除くのですが、これが最も難敵の仕事で、高齢者の多い氏子総代の中で屋根に上ることができる人は皆無といって過言ではありません。
「おい、若いの。屋根に上って、きれいにしてくれ。」と、古老の総代に言われ、屋根に上ったのは良かったのですが、境内よりも一段と高いところにある拝殿の屋根では、命綱があるにもかかわらず、怖くてすくんだ記憶が残っています。
しかし、こんな若い者を氏子総代にするか、と思っていましたが、どんな組織でも、老若男女が集まることでそれぞれ役割分担を担えるものだと思い直したことがあります。
今一つは、境内の大木が倒れそうになり、その伐採でお手伝いしたことです。
神社仏閣の木を倒すという事は難しいもので、特に、その大木が本殿や拝殿等に傾いているようなときは特別です。当時の責任役員が、地元業者に頼んだようですが、万一のことがあっては、と受けてくれないという事で、私に相談があったのです。
私は、その何年か前、自宅の大木を4本倒したことがあります。この時、吉野の奥、美杉村から木こりの方に来ていただき、倒していただきました。この木こりの方も、数少ないお一人で、もうほとんど職業として木こりをしている方はないという事でした。しかし、その手際の良さ、正確さにはびっくりさせられました。
「ご主人、あの柿の木と、この栗の木の間に倒しましょう。」と云うと、一本はしごを使って、すたすたと木の上に上り、邪魔な枝を切り落としたうえで、一本のロープと、くさびを使って、ものの見事に、また正確に二本の木の間に倒したときには、思わず拍手をしたものです。
こんなことがあり、私に相談があったものです。
今、拝殿階段の西側に大きな木が傾いてきていますが、何とか、持ちこたえてほしいものと、根を強く、丈夫にするため、この木の周辺は立ち入り禁止にしています。参拝者が踏みつけることで、根が弱るのを防ぐ狙いがあります。皆さん、ご協力よろしくお願いします。

2016.9.29

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