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ホーム > みどりのさと > 第9話 ~地高き里 正傳寺 平安後期の如来さん~
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小さな田原の里に、四條畷木像彫刻最古の大きな仏さん  阪奈エンタープライズ株式会社本社ビルから東へ約500メートル、西尾石油店前交差点を北に左折し、約100メートル登った所、左手のひときわ高い場所に正傳寺の本堂が見えてくる。 田原地区の天野川沿いに南北に走る国道168号を車で走っていると、西方の小高い丘の上に建つこの正傳寺が見えるので、是非、一度訪れていただきたい。 正傳寺は、仏法山と号し、融通念仏宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来である。境内には上田原地区の300基以上ともみられる苔むす石塔があって、その歴史は古い寺である。 (写真上:正傳寺の表門 写真下:正面が本堂、向かって右手の堂宇の中に釈迦如来が安置されている) 本尊は阿弥陀如来であるが、正傳寺の寺宝とも云える仏像は、本堂東側に建つ別棟堂宇に安置されている舟型光背の薬師如来である。 以下、四條畷市公式ホームページの解説を紹介する。   ― 平成24年1月26日に、なわてのたから(市指定有形文化財)が新しくもう一件指定されました。 新しく指定されたのは、上田原にある正傳寺(しょうでんじ)薬師堂の本尊の薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)です。一本の木を削って作ったもので、高さ2メートル以上ある堂々とした像です。 像に彫り出されている衣服の着せ方は、9世紀に多く見られるものです。しかし、衣服の彫られ方や、横から見た像の特徴からは、10世紀に作られた可能性もあります。いずれにしても、平安時代に作られた像と考えられます。 この像は通常の如来像(にょらいぞう)と異なり、右手を下げて左手を上げていて、両手首から先は後に作り直されたものです。この種の如来像ではこれほど大きな像は珍しく、また四條畷市内、最古の本格的な彫刻として大変貴重なものです。 なお、この像は明治時代に近くの森福寺(もりふくでら)が廃寺となったため、正傳寺へうつされたものです。 ●衣服の着せ方や衣服の彫られ方から平安期の作と断定 ところで、四條畷郷土史かるた(昭和54年3月発行)では、正傳寺の薬師仏と題して、以下の句と解説が付されている。 地高き里 正傳寺 鎌倉仏の薬師さん (ちたかきさと しょうでんじ かまくらぶつのやくしさん)  〔解説〕  標高160メートルに開けた田原村民の、治病医学の本尊として、信仰を集めた700年間の鎌倉仏。薬師如来の盛んなところ、そこは地高く、空気美しくして水清く、近くに薬草多しと云う。正傳寺は仏法山と号して融通念仏宗。年輪を思わせる額を本堂前に掲げてある。 しかし、平成5年12月に発行された郷土史かるた「田原の里」では、正傳寺に関わる句は3句あり、うち1句の句と解説は以下の通り。 地高き里 正傳寺 平安後期の如来さん (ちたかきさと しょうでんじ へいあんこうきのにょらいさん)  〔解説〕  正傳寺は仏法山と号して融通念仏宗で、本尊は阿弥陀如来である。かるたの句で詠っている如来さんは、本堂の東側に安置されている。高さ約2メートル、光背2メートル50センチ、小さな里には珍しい大きなものである。元森福寺と号する上田原所在の真言宗寺院であったことが天保15年明細帳に見える。現在廃寺で明治初期に遷座したもの。  四條畷郷土史かるたでは、「地高き里 正傳寺 鎌倉仏の薬師さん」と謳っている。田原のかるたを作るまでは、鎌倉期の薬師如来として親しまれていたが、どうも鑑定者によって見方が違ったようである。  このように、元々鎌倉時代の作と云われてきたものが、現在は平安時代の作との評価が定着し、四條畷市有形文化財に指定されたもの。これは、以前、胸のふくらみ、全体的な立体感、衣装の滑らかさから見て、写実性と剛健さに富み、人間味あふれた作品という事から、鎌倉美術の典型的な薬師如来と見られてきたのである。 しかし、衣服の着せ方は9世紀に多く見られるもので、衣服の彫られ方や、横から見た像の特徴からは10世紀に作られた可能性があることから、少なくとも平安時代の作であることが確認されたという事である。 普段何気なしに見ている仏様も、このように身にまとっている衣装やその彫られ方、また横顔などによって、その製作年代が特定されるという事を知ると、鑑賞の仕方も異なってくるのではないでしょうか。お顔に目を向けるだけではなく、衣装、更には横、後ろに回って仏様を注意深く見てください。新たな発見があるかもしれませんよ。(写真:釈迦如来/四條畷市公式ホームページより) ●今も田原に残る行事、愛宕さん代参 境内には、「愛宕山」と彫られた常夜燈が建っている。 今も昔も火事は怖いものと相場は決まっているが、藁ぶき屋根がほとんどであった江戸時代には、延焼を防ぐためには隣の家を叩き壊すしか火勢を食い止めることができなかったようである。そこで、京都の北西にある愛宕山の防火の神様、愛宕神社にお参りに行くわけだが、遠方なのでなかなか行くことができない。そこで、村ごとに常夜燈を祀っているのである。 ちなみに、私の住まいする下田原区の照涌地区では、定められた順番に沿って、班の代表が京都の愛宕神社にお参りをし、各家のお札をいただいてきて来て各家に配って回るという代参の行事が今も続いている。 また、正傳寺本堂の縁側の天井には、水ポンプが掲げてある。 この水ポンプは、幕末に発明された雲龍水の消火器で、「雲龍水、水立ち上がる事数丈、呼吸なくして火勢強く、火消し第一の器なり」と宣伝されて、明治末まで使用していたようである。 また、「出火これあり候ば、声を立て、太鼓を打ち、村中のもの馳せ集まり、精を出し、火を消すべし」と、江戸期の具体的な火事対処法が記された文書も残っている、とか。 2016.11.30
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