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ホーム > みどりのさと > 第17回 庶民信仰息づく13仏塔、田原に2基
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第17回 庶民信仰息づく13仏塔、田原に2基 私の家の巻石は、吉野から持ってきた丸い石積みであった  私は、4歳のとき、奈良県吉野の津風呂という地から、今住む田原の地に引っ越してきた。 皆さん、ご存知のように、奈良県は全体が大きな盆地状で、海に接していないことから、流れる川も制限される。そのような地勢上の制約から、奈良盆地の田畑を潤す用水不足が課題であったため、戦後、灌漑用のダム湖建設の話が持ち上がり、吉野川に流れ込んでいる津風呂川をせき止めてダム湖が建設された。 私の生家は、ほとんど記憶はないのだが、この津風呂川の前にあり、それも集落の入り口にあたる場所にあった。かすかに残る記憶では、生家の前の川で、それも結構大きな岩が多くあったと記憶しているが、小魚取りをした思い出が残っている。 昭和27年、私の父はダム湖建設の賛成派であったようで、他の村人に先駆けて、今の地に移り住んだようである。 そして、田原の地に移り住んだ後、吉野の名残を感じさせてくれたのが、吉野から田原に持ってきた墓石である。 墓石は、ほかの墓石と同じであったが、巻石がひときわ目立っていた。 というのは、この辺りの墓の巻石は、ほぼすべてが立方形の石を使って、据えられていたが、私の家の巻石は、墓石と一緒に吉野から持ってきた丸い石を並べていたのである。この丸い石は、吉野川の河原から拾ってきたもので、今でも吉野地方に行くと、家屋敷や畑の周辺の石積みに使われており、独特の風景を醸し出している。 だから、親せきの人が来て参ったりする時でも、私の家の墓はすぐにわかったのである。 なお、巻石とは、隣の墓の区画との境界を明確にする役割を持つとともに、浄土と俗世界、すなわちあの世とこの世を分ける意味合いがあるようで、巻石の内側は「聖地」とされ、人は土に還り、極楽浄土に行けると、云われているようだ。 しかし、私の家の墓がある照涌野田の共同墓地は、全面改装され、今はこの様子は残っていない。どことなく寂しさを感じるが、これも時の流れなのか。 ◆照涌野田共同墓地と住吉神社に十三仏塔  改装前の照涌野田の共同墓地の入り口に、1基の十三仏塔が建っていた。今は、改装なった共同墓地の東墓の一角に建っている。(写真上) 永禄2年(1559)の建立で、花崗岩の板碑は、高さ122センチメートル、幅64センチメートル、奥行き27センチメートルで、4列3段に、13の菩薩が彫り込まれている。 銘文には、正面右に、「逆修永禄二年己未」と、正面左に、「五月十六日(根部に道圓・道西・栄心等13人の供養者名あり)と刻まれている。 子どもの頃は気付かなかったが、この十三仏塔は、一段に4体を配置し、それを三段とする珍しい配列のようである。四條畷市内には、計7基の十三仏塔があるが、残る6基はすべて三仏・四段と頂点に一仏の形式で、この形式が一般的といわれている。 田原には、上田原の住吉神社の境内に、もう1基の十三仏塔がある。(写真下) 照涌野田の十三仏塔から降ること63年後の元和8年(1622)の建立で、花崗岩の自然石板碑型で、高さ124センチメートル、幅87センチメートル、奥行き38センチメートルで、3列4段の舟形光背型である。 銘文には、正面右に、「元和八年壬戌二月十五日敬白」と、正面左に、「奉為時講逆修供養也(側面に縦書きで三行あるが判読不明)」と刻まれている。 神社の境内に十三仏塔があるという事で、疑問に思われる方も多いと思うが、平安時代以降の神仏習合によって僧侶が神官を兼ねる時期が続いたため、神宮寺は決して珍しいものではない。かつて、住吉神社にも神宮寺と称する真言宗寺院があったが、明治元年の神仏分離令によって、僧侶の神官兼務が禁じられたため、廃寺となったもので、廃寺後も住吉神社の社内に地蔵菩薩、観音菩薩、名号碑などとともに、この十三仏塔も残ったものである。 なお、四條畷市内には、これら二つの十三仏塔以外に、中野共同墓地(天文24年1555)、同じく中野共同墓地(年代不詳)、南野(天正20年1592)、弥勒寺(永禄2年1559)、正法寺(天正18年1590)の5か所に残っており、1自治体に残る十三仏塔の数としては、合併の進む前までは全国一であった。 ◆南北朝期に始まり江戸初期に終わる十三仏信仰  十三仏信仰について触れておこう。 十三仏信仰は、南北朝時代から江戸初期に至る300年間、広く庶民に普及したもので、死後の仏事(初七日から三十三回忌まで)を生前自分で供養(逆修)することに始まり、後には、先祖の追善供養のため墓地入口に建てられるようになったものである。 人間は死後、閻魔大王らの十王より、回忌法要ごとに生前の行為の裁きを受けるとされる。そのときの弁護救済に当たってくださる仏・菩薩を一枚岩石に刻したものが十三仏塔である。人間は33回忌を過ぎれば、祖神になるとの考え方が、古来日本人の死霊感であった。この33回忌法要の仏事成立は、貴族社会では平安・鎌倉期、庶民間への普及は南北朝時代とされる。したがって十三仏建立は南北朝時代に始まり、江戸初期に終る。 十三仏の配列順とその名称等は、以下の通り。 ●十三仏菩薩名配列
順次 忌日 仏菩薩名 逆修日
初七日 不動明王 一月十六日
二七日 釈迦如来 二月弐九日
三七日 文殊菩薩 三月弐五日
四七日 普賢菩薩 四月十四日
五七日 地蔵菩薩 五月弐四日
六七日 弥勒菩薩 六月五日
七七日 薬師如来 七月八日
百か日 観音菩薩 八月十八日
一年 勢至菩薩 九月弐三日
三年 阿弥陀如来 十月十五日
七年 阿閦如来 十一月十五日
十三年 大日如来 十一月弐八日
三十三年 虚空像菩薩 十二月十三日
不動明王(ふどうみょうおう)・・・右手に降魔の利剣、左手に捕縛用の縄を持つ忿怒の形相、一切の鬼霊・煩悩を調伏する仏教守護神。 釈迦如来(しゃかにょらい)・・・仏教の開祖釈迦如来、「オシャカサマ」と通称する。仏像の諸菩薩は王子時代の釈尊を模すという。 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)・・・釈迦如来の左の脇士として智恵を司る菩薩。「三人寄れば文殊の智恵」で有名。 普賢菩薩(ふげんぼさつ)・・・釈迦如来の右に立つ脇士、仏の徳をあらわし、仏の教化・済度を助ける菩薩。 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)・・・右手に錫杖、左手に宝珠を捧げる石像として造られ、路傍の仏として親しまれている。 弥勒菩薩(みろくぼさつ)・・・釈尊入寂後の56億7000万年後に、この世に降臨して釈尊と同じように成道、衆生済度の法を説くといわれている。 薬師如来(やくしにょらい)・・・左手に薬壺を持ち、右手を施無畏印(せむいいん)に結ぶ。衆生の病患を救う仏として、多くの信仰を集めている。 観音菩薩(かんのんぼさつ)・・・観世音菩薩「世の中の困っている人々の音声を観て、救すけて下さる慈悲深い仏様」と説明される。現世利益の仏として尊崇されている。 勢至菩薩(せいしぼさつ)・・・阿弥陀如来の右脇士、智恵の光で一切を照らし、三途の川で苦しむ者に無上の力を与えて、三途の川を離れさすといわれている。 阿弥陀如来(あみだにょらい)・・・48願を立てて衆生を済度する仏、この仏を信じ、その名を唱えただけで極楽浄土に往生できると説かれている。 阿閦如来(あしゅくにょらい)・・・東方の妙喜世界に生まれ、大日如来の教えを受け修行して成仏し、息災成仏の功徳を有する仏。 大日如来(だいにちにょらい)・・・その智恵の光明は、昼夜の別ある日の神の威力を上回るから大日という。この世のあらゆるものは大日如来の智と理のあらわれとされ、前者を金剛界、後者を胎蔵界と呼ぶ。金剛界大日如来は宝冠を頂き、大智拳印を結ぶ。いわゆる忍者が呪文を唱える時の指の握り方に似ている。 虚空像菩薩(こくぞうぼさつ)・・・「智恵・功徳を蔵すること虚空の如く広大無辺、尽きることなし」とされることからの名称である。   2017.06.12(田原氏)
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