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2018.08.10

第32回 鵜野の讃良は、まさに四條畷の一角 ~ 持統天皇の幼名は鵜野讃良皇女 ~

ブログ

●「持統天皇は四條畷市ゆかりの人物ですよ。忘れていませんか。」

 私は、かつてある方から「○○さん、四條畷市ゆかりの 人物といえば、もちろん四條畷神社に祀られる楠正行公や飯盛城に入った三好長慶、近代を代表する哲学者安岡正篤らがいますが、誰も持統天皇に触れないのが残念です。持統天皇は、飛鳥・奈良時代に登場した有能な女帝ですが、幼少時代はここ四條畷で過ごしていますよ。なぜ、取り上げないのですかね。」と指摘を受けたことがある。 持統天皇の幼名を鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)という事から、かつて讃良郡の一角を占めた甲可村=四條畷市で幼少時、四條畷が過ごした地であることは、今や定説となっている。 遅まきながら、ここで、持統天皇について繙いてみたい。  

●かつて鵜野と言われた、砂・岡山で幼少期を過ごす

第41代天皇、持統天皇は、極めて四條畷の地にゆかりの深い天皇といえる。 在位は朱鳥5年(690)から同12年(697)の7年間であるから、645年の大化の改新の精神を受け継ぎ、日本史上、最初の体系的な律令法といわれる飛鳥浄御原令(あすかきよみはられい)を制定・施行し、唐の都を模し東西南北に道路整備をした藤原京を造営し都を移すなど、日本古代国家の確立に大きく貢献した天皇である。 そして、四條畷との縁だが、この持統天皇の幼名を鵜野讃良皇女といい、幼名についている『鵜野』の地が、まさに現在の四條畷市沙、岡山を中心とする地を指しており、持統天皇が幼少時にこの地で生活していたことはほぼ間違いないといわれている。 四條畷市発行の「歴史とみどりのまち、ふるさと四條畷」によれば、以下記されている。 ― 平尾兵吾氏は、「郡の制度が確立する以前は、この鵜野、娑羅羅=讃良、鹿深=甲可は同一地を指し、四條畷市の北野、中野、南野にあたる地域に推定される。」と言い、また四條畷市の発掘調査における馬飼いに関する数々の発見から、「砂、岡山を中心とする地域が鵜野と呼ばれていた地域と断定してよい」 四條畷市は馬文化発祥のまちである。 かつて5世紀、大陸から準構造船に乗ってはるばる日本海を渡ってやってきた馬は、瀬戸内海を通り、河内湖を経て、蔀屋浜に上陸し、四條畷の地で飼育された。これは、四條畷の地勢によるところが大きい。 前面に河内湖が拡がり、背面は飯盛山で遮られ、北から南に向かって讃良川、岡部川、清滝川、権現川という4本の川で区切られた四條畷は、柵のいらない自然の牧場であった。加えて、西から東に斜面を形成する大地は、馬の飼育に最高のコンディションを提供したのである。 だから、讃良川周辺には馬飼いの集落が形成され、鵜野村はその一つであったのである。 加えて、河内馬飼首荒籠(かわちうまかいのおびとあらこ)に象徴される馬飼いを生業とする一族は、馬を飼い、その馬を大王に献納し、その馬が貴族たちに下賜され、時の権力を支える大きな力となっていたものと思われる。大和朝廷と密接な関係を持った馬飼いの首長らの存在は、皇族に連なる人々が安心して生活できる地の一つであったものと思われる。  

●縁を感じる吉野行幸、薬師寺そして御製の歌

 ここで持統天皇の生涯を見てみよう。 天智天皇の第二皇女として生まれ、13歳で大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぎ、草壁皇子を生む。壬申の乱に勝利し、天武天皇が即位すると皇后になり、天武天皇が亡くなると、自分の子どもの草壁皇子を皇位継承者と考えていたが、他界したため、止む無く自ら即位した。 持統天皇の政治は、天武天皇の政策を継承するもので、冒頭にも書いた飛鳥浄御原令の制定、藤原京の造営が大きな成果である。 また、持統天皇は頻繁に吉野行幸をしたようだが、幼少期の四條畷、即位後の吉野と聞けば、吉野生まれで、四條畷育ちの私からすれば、大いに親近感を持つものである。更に、天武天皇が造営を始めた薬師寺を完成させ、勅願寺としているが、私は薬師寺にも幾度となく訪れており、ここでもなにがしかの縁を勝手に感じている。 昔の天皇は土葬と思い込んでいたが、持統天皇は、天皇として初めて火葬された天皇と知り、これもいささか驚きである。 持統天皇は、万葉歌人の一人として百人一首にも数えられる歌を作っている。                   春過ぎて 夏来たるらし 白妙の  衣干したり 天の香具山   私は和歌や俳句は苦手で、百人一首と言われてもほとんど歌が思い浮かばないが、この歌は昔の教科書に出てきたもので覚えている。 現代語訳をすれば、“いつの間にか梅雨が続きうっとおしい春が過ぎて、からっとした夏がやってきたようです。そのことを象徴するように天の香具山に真っ白な衣が干されていますね”とでもなるのか。 和歌に疎い私にとって、身近な一首が持統天皇の御製であったことは、更にその縁を感じることになった。 冒頭にも書いたが、これからは四條畷市ゆかりの人物という事だけではなく、私にとっても身近に感じる人物の一人として、この鵜野讃良皇女、持統天皇のことを語っていきたいと思う。 (持統天皇のイラストと天皇系譜は「歴史とみどりのまち ふるさと四條畷」より転載。百人一首持統天皇の図版はネットより転載) 2018.08.08 田原氏